2001/ 2/ 1 - 28



2001/ 2/28(快晴)
・午前中は昨日教えてもらったフェイラまで歩いてみる.猛暑激暑で溶けそうになる.アスンシオンの道の酷さはブラジルの比ではなく、街並みなんかもとにかく強烈.もう汚い! お金も紙幣なんて触りたくないくらいの汚さだ.道でもボンネットバスが走りまわっているのはもはや感動だった.クリチバなんて先進国の未来都市にすら感じてしまう.
・畜産が盛んなせいか、牛革製品の店が目に付く.ずいぶんと安そうだが荷物になるので諦める.この国もブラジル南部と同様に喫茶の習慣があって、ブラジルではシマホン、こちらではテレレと呼ばれるマテ茶を、言葉通り誰もが皆飲んでいる.変な形の容器にお茶の葉っぱを入れて、ストローみたいなので飲むのだが、屋台の人も飲んでるし、バスの運転手も運転しながら片手はしっかりとお茶を持っている.所々で軍隊の人が銃剣を持って立っているが、彼らもまた片手にはしっかりとお茶が有る.ナンだか愉快だ.
・午後から会社に出掛けて、また昨日とは違った場所に案内してもらう.今日はショッピングセンター内の店舗などをまわったが、ショッピングセンター内はさすがに非常に綺麗で、あの混沌とは別の国のようだ.
・コーラのミニペットボトルを買って飲む.いろいろ行って気付いたのだが、コーラのボトルの大きさは各国まちまちだ.小ビンはブラジルが 285 ml でアルゼンチンは 350 ml だったりするが、ミニペットボトルはブラジルだと 600 ml でパラグアイは 500 ml だった.マーケット調査の結果なのだろうがなんだか興味深い.
・夕方の飛行機でクリチバに向かう.出国手続きを済ませて待合室に入ろうとすると、また係員に呼びとめられて、何しにパラグアイへ来たんだと糾される.良く見ると昨日と同じオヤジじゃないか.くそっ、なんか恨みでも有るんか.紙幣の一枚でも渡しておけばよかったんかいな.けど出国が済んだ後に、何しに来たんだとか言われてもね〜.
・クリチバは雨、この寒さに何故かホッとする.帰り道もサンタカタリナからの帰ってくる人達で大混雑していたので、行きと同じ道を使って帰る.部屋に着いたら零時.疲れたな〜.

2001/ 2/27(快晴)
・私は朝 8 時の飛行機という事で 5 時に起きて 5 時半にタクシーに乗って空港へ向かう.港には豪華客船が 4 隻停泊していた.カーニバルが始まった時には 7 隻来ていたらしい.豪華客船の世界一周ツアーなんかで、カーニバルに合わせてリオに寄港するように組んでいるのだろう.一度乗ってみたいものだ.途中で気付いたが、今回のリオでは結局海へ一度も行かなかった.目的の半分以上は海で水着のおね〜さんを眺めながら昼寝のはずだったのに、リオまで何しに来たんだろうとなんだかとても悲しい気分になる.
・飛行機はフライトが変更になっていて 6:30 の離陸となっていた.ダッシュで搭乗手続きと出国手続きを済ませて飛行機に乗る.直行便の筈だったが Assuncion-Paraguai / Rosario-Argentina / Osorno-Chile 行きという凄まじい組合せの便となっていて、結局全員がサンパウロで乗り換え.一体ナンなんだ? 他国からカーニバルに参加した人達は巨大な羽を生やしたまま飛行場にやってくるので面白い.
・アスンシオンには昼頃に到着.荷物受け取りのコーナーでは青い服を着た人がいっぱいいて、次から次へと荷物を奪って行く.私は荷物が少なかったので断ったら、検査台で全部開けられ、更に 3 歩も歩かないうちに今度は麻薬検査だとかでまた開けられ、パスポート入れから財布の中まで全部開けられる.何度も繰り返し何しにパラグアイへ来たんだと聞かれたので、仕事 + 遊びだよん♪と答えるが、フィルムの数が異常に多いだの、1 泊しかしないのはおかしいだの、タダの嫌がらせでしかない.怒ったら負けなので、ニコニコとのらりくらりと受け答えて相手が飽きるのを待つ.終わったと思ったら係員の隣に立っていた人が荷物を奪って出て行く.結局彼らを使わないとこういう目に遭うようだ.
・会社の人が迎えに来てくれていたので、恐縮しながら付いていく.車は目の前にあり、こんなに軽い荷物を持って僅か歩くだけにも関わらず、運び屋が早く金出せと煩いので、チップをやって追い払う.ちなみに白タクや運び屋はサンチャゴ・デ・チリやブエノスアイレスにも居て、南米では当たり前の光景だが、ブラジルだけは何処の空港にもその手の輩は居ない.これもちょっと興味深いことだ.
・車であちこち連れて行ってもらい、会社の設備を見せてもらったが、パラグアイでは市街を抜けると一気に原始の光景が広がって、原生林の中の掘建て小屋の周りでは子供が素っ裸で走りまわったりしている.う〜ん、南米侮りがたしという感じだ.
・ホテルは日本人経営の内山田ホテルに飛び込む.バックパッカーと間違われたようで、一番安い部屋から案内してくれる.とりあえず社会人のプライドも有って、2 番目に安い部屋にしておく.それでもエアコンと冷蔵庫が付いていて随分と助かった.信じられないくらいの暑さだここは.
・夕方にネットで知り合った夫婦の方と一緒にお茶をする.今度ブラジル旅行をするらしいが、私はそれより先に帰国してしまうので案内できずに残念だ.この暑い中をわざわざホテルまで来て頂いて割には、私は会社の人との晩御飯の予定が有ったので、あまりお話しできなくて残念だった.
・夜に会社の人の家族と一緒にご飯を食べに行く.内山田ホテルは新館が有って、そちらに予約していたとの事.ひえ〜、申し訳ないっす.新館は出来たばかりで、値段も倍以上していて中も段違いに綺麗らしい.話しも随分と弾むが適当に引き上げる.

2001/ 2/26(快晴)
・昼過ぎに目が覚める.同僚二人が宝石店へ買い物へ行くというので一緒にイパネマまで行く.別の同僚が以前に買ったという店に行き、店に入ってからもプラプラしていたが、3 時間くらい掛けて 1 人は買い物終了、もう一人は明日に持ち越した.店を出たら既に夕方ということでお食事.また 3 時間くらい掛けて食べて一旦ホテルに戻る.私なんかだと男同士の場合は、たとえ美味しい事が判っていても高い店に入るのは気が引けるのだが、そこも良い店という評判なので入らねばという事らしい.
・この辺りは結構興味深いところで、例えば私は旅行の前にはガイドブックを必ず買うのだが、全く読まずに新品のままカバンの奥底に眠って旅行から帰ってくるし、おおよそ人の勧める店にも入った事は無い.全部適当に見付けた所ばっかり入っている.理由はとても簡単で、住所や店の名を覚えるのが面倒だからである.だから帰って来てからも店の場所は覚えていても、名前まで覚えていることはまず皆無である.だからガイドブックと他の人のお勧めを辿って行くのは今回が初めてみたいなものだが、別にどちらが良い悪いという話しじゃ無いのだが、ナカナカいとおかし、という感じだった.
・夜に再びコパカバーナへタクシーで乗り付けてフェイラでおみやげ物を買う.人と一緒に買い物をすると何故に自分にお金が貯まらないかが良くわかった.絵なんかでも私は瞬間即断即決で買っちゃうのだが、同僚の 1 人は交渉に 1 時間費やしていた.私の財布はお金を止めておく引力に欠けるようだ.その後軽く食べて 1 時過ぎにホテルへ戻る.

2001/ 2/25(快晴)
・10 時に到着予定の同僚を待っていたが、結局昼過ぎに電話が掛かってきた.一人は Sao de Acucar へ行ったことが無いというので、出掛けてみる.
・降りてきたら 14 時くらい.おなかが減ったので昼ご飯にいく.ガイドブックに載っていたイパネマのレストランへタクシーで乗り付け、3 時間掛けて食べるともう夕方.なんで男 3 人でこんな真似をしなきゃならんのかと思ったが、徹底的にハイソ志向のようだ.
・18 時半にマイクロバスがホテルに迎えに来て、19 時過ぎにホテルを出、20 時頃に会場に到着する.その時刻ではまだまだ空いていたが、パレードの始まる 21 時にはぎっしりと満員になる.日本人も非常に多い.
・1 チーム 5,000 人で今日は 7 チームのパレードが有るが、1 チームに大体 2 時間弱掛かるため、どう考えても予定の 5 時には終わりそうに無い.パレードはさすがという感じだが、午前 4 時、5 時くらいになると、さすがにコンクリートの席では、へばって寝てしまう人達や帰る人達も目立ち始める.最後のチームは始まったのが既に明るい 5 時半で終わったら 7 時.日差しの中のパレードもなかなか辛いな〜.ホテルに戻って寝る.

2001/ 2/24(快晴)
・10 時頃に部屋を出て CITIBANK へ寄って R$ 1,000 を下ろしてくる.カーニバルのチケットなんて、この直前では現金売買しかしないだろうから、とにかく今回は現金が必要な感じ.それから空港へ向かうが、この道はサンタカタリナへ行く道にもなっているため、大混雑で全く車が動かない.漸く横道から抜けて Maricial Floriano を通って Sao Jese do Pinhais 市まで抜けて空港へたどり付く.飛行機にはぎりぎり間に合った.
・ホテルは Flamengo 海岸の Novo Mundo というところだったが、そんなに良い部屋頼んじゃ居ないのに、Pao de Acucar が正面に見える海沿いの部屋だった.ランクを下げて値段も下げて欲しかったな.ロビーでカーニバル入場券の販売デスクが有ったので、そこで買う.安い席は R$ 220 だが一番良いところで R$ 550.どうせ最後のカーニバルという事で R$ 550 のを買ってしまう.明日同僚が到着するので 3 枚必要だがお金が満額無いのでとりあえず R$ 1,000 だけ払っておく.
・今日はサッカーグッズを買おうと思っていたのでついでにその人に Vasco da Gama と Flamengo のオフィシャルショップの場所を聞くが、周りのホテルマンを巻き込んで皆さんやんやと喧嘩を始める.Vasco 対 Flamengo は如何なる場所でも敵対関係を保っているようだ.延々とお互いに相手チームを貶し始めて止まることを知らないので、時刻も遅くなったし適当に逃げ去ってショッピングセンターへ行く.
・Rio Sul Shopping へは地下鉄に乗ってそこから 30 分ほど歩いた.店内のスポーツ用品店で適当に見繕って買い込み、満足してホテルに戻る.晩御飯は地下鉄 Catete 駅出口の適当なバーで食べる.A 組のパレードは日曜、月曜だが、B 組の無料で見れるパレードは今日と火曜日に行われるので、地下鉄駅などでは眩いばかりの羽を生やした人達が、次から次へと電車に乗ってパレード会場に向かっている.楽しそうだな.
・夜に地下鉄に乗ってコパカバーナへ出掛け、30 分くらい歩いて待ち合わせていた日本人夫妻と会う.適当なレストランで食べて、夜から始まるフェイラを物色していたら零時を回っていた.初日はナカナカ充実して終わる.

2001/ 2/23(晴/雨)
・午前中にまず不動産屋へ行く.今日出来る筈だった部屋の管理人の書類は 3/ 1 に出来るとの事.まあ、いつものブラジルだな.不動産屋では Vistoria の予約を行う.退去後の部屋のチェックを行う Vistoria は第三者機関であるが、大抵は不動産屋とつるんでいて、指定業者に頼まないと、あちこちケチを付けられ再度やり直しになる場合があるというので、不動産屋に聞くのが一番.しかし私の拙いポル語では思いっきり直接的な聞き方になってしまうのが難だな.あんたのところに Vistria が居るだろ? 紹介してよ.それとも自分で探して良いのかい? と聞くと Vistoria が不動産屋の中に居るのは違法行為だから居ないよと言う返事だが、自分で探して来ても良いとは絶対に言わない.暫し言葉を探して、知っている Vistoria が居たら予約したいから紹介してくれ、と聞くとちゃんと予約表を持って来て日にちと時刻を入れる事が出来た.あんたが全部やっているんだったら Vistoria も一緒にやっているようなもんだろう、とは思ったがもちろん口には出さずににっこり笑って予約しておく.これで一つ片付いたな.
・スポーツ用品店で Parana Clube のユニフォームを買う.この店はクリチバのチームの応援用ユニフォーム等をいろいろ揃えているが、ここのお兄さんが Parana Clube のファンだという事を知っているので、とりあえず Parana Clube のシャツだけを買っておくと、これまた大層ご機嫌だった.
・Couto Pereira 球技場へ行き、オフィシャルショップで Coritiba のユニフォーム等を買う.次に Arena da Baixada 球技場へ行き、オフィシャルショップで Atletico/PR のユニフォーム等を買う.どちらの店でも応援歌の CD を買ったが Coritiba FC の CD は音楽が超まともだ.以前買った Inter の応援歌 CD は音楽と呼べる代物ではなく、NHK 喉自慢の鐘 1 個の人でもこれより 100 倍は上手く歌えるだろうという強烈なやつだったが、Coritiba はかなり気合が入っているな.
・夜からはクリチバに住んでいる日本人家族が 10 人ほど集まってお別れ会みたいのをやった.今年帰る人、ずっとこちらに住んでいる人、最近来た人など、こうしてみると人の出入りも結構あるもんだ.ずっと住む人達はこういうイベントを何度か開いては時間の流れを感じるんだろうな.

2001/ 2/22(晴/雨)
・朝 8 時半に歯医者さんから電話が掛かってきて起きる.うわっ、寝坊してもうた...今日は 8 時から歯医者の予定で、7 時に目覚ましを 2 個掛けたんだけど全く記憶に無いな〜.あ〜ぁ、やってもうた.その後午前中は銀行に行くが担当者が居なくて引き返す.昼過ぎに総務担当の方の所へ行き、進捗状況を話して、更に後処理の為に小切手を何枚かサインだけして渡しておく.
・午後から再度銀行へ行き、クレジットカードのキャンセルと、R$ 2,000 の預入れを行う.更に旅行会社へ行って領収書を発行してもらい、リオのカーニバルについてもいろいろ聞いてみる.どうやら観客席は月曜の晩なら未だ空きがあるようだ.R$ 360 か、高いな〜.まあ仕方ないか.どうせこういうのは現金じゃないとダメだろうから、明日にでもまた CITIBANK で下ろしておこうっと.
・頼まれ物のユニフォームを何件か探しまわるが、サイズが合わない.クリチバ市で他チームのユニフォームを買うのはなかなか困難だな.遅い昼ご飯を適当なバーで食べるが、相変わらずブラジルのハンバーガーは美味い.これももう食い納めだよな.
・帰ってからスポーツ新聞を読んでみて驚いた.24 日に予定されていた Vasco - Flamengo 戦が 22 日に変更になっている.うわっ、何の為に 24 日にリオに行くのか判らんわ.3/ 3 の Belo Horizonte での Cruzeiro - Atlético/MG 戦も引越し日変更の関係で行けなくなって、当初予定していたリオとミナスの 2 つのダービー戦は、いずれも見れなくなってしまった.ブラジル最後の楽しみが、この期に及んで一気に 2 つともダメになるとは茫然自失.泣きそうだ...
・夜から昔住んでたアパートに挨拶に行く.今のアパートは人も多くて、近所付合いなど無いが、昔のアパートは部屋数が少ない事もあって、いろいろお世話になっていた.特にお世話になった 4 部屋へ行こうとしたが、1 部屋は既に人が移っていた.残りの部屋にお邪魔していろいろお話しをしてくる.すっかり夜遅くなって戻る.帰り道に左側だけ生き残っていた車の主灯が切れてしまい真っ暗闇でチト怖かった.

2001/ 2/21(晴/雨)
・銀行口座のマイナスが限界まで近づいてチト拙いという事で、CITIBANK へ行って下ろしてくる.が Malicial Deodro 店のキャッシュディスペンサーは相変わらず通信状態が酷く、エラーばかり出て、漸く 1 回繋がったと思ったら R$ 200 までしか引き落とせないと表示された.機械の中に金が無いなと思って R$ 200 下ろすと案の定全部 R$ 10 札で出てきた.窓口に文句垂れると、Batel のビデオ屋に置いてある CD へ行けと言われ、渋々歩いて Batel まで行く.そこの機械では R$ 2,000 まで下ろせると表示されたので、しばし迷った後、R$ 2,000 を一気に下ろす.こんな大金持ち歩くのはチト怖いが、明日は Bradesco 銀行に行って、全部預けてこようっと.
・Shopping Mueller へ行ってお世話になった人へのお土産を買う.まずはアパートの門番のお兄さん達だな.彼らの役目はこれから引越しのゴタゴタでますます重要になるから、完璧に味方に付けて置かねば、という事でシャツを 3 枚買う.後は昔のアパートの人達の分にチョコレートでも買っておく.こんなもんかな.
・夕方から知人宅へ行き、パソコンをいじった後にお食事を頂き、その後サッカーを見に行く.Copa Sul-Mias の Atlético/PR 対 Atlético/MG が Arena da Baixada で 21:45 から有る.こんなに遅い時間なのに、久々の大物対戦という事で球技場は結構混み合っている.それにしてもさすが Atlético/MG.Gilherme は出なかったものの Marques 等のブラジル代表を揃え、個人プレーもパス回しも冴えまくり.Atlético/MG が主審判定のオフサイドでゴールが無効になれば、後半 48 分には Atlético/PR もハンド判定でゴール無効になり、結局 1 - 1 で引き分け.Porto Alegre で Coritiba が Gremio に勝つか引き分ければ Atlético/PR が決勝進出だが、Gremio が勝つと予選落ちだな.どういう結果になったことやら.

2001/ 2/20(雨)
・昨日から風邪気味だったが、今日は朝からはなみずが止まらない.昨晩の見事な雷雨を濡れながら撮っていたのが原因かな.どうでもいいけど堪らんな〜.というわけで大人しく荷物片付け等をやるが、文庫本を詰めた時点で挫ける.いつもの事ながら引越し前日晩に徹夜して荷造りする羽目になるのか.
・CNN Espanol で Curitiba の Petrobras 原油流出事故をやっていた.こいつら半年ほど前にも原油流出させて Uniao da Vitoria を油で汚染したのに、またまたかい.しかも今回は Serra do Mar.Morretes や Paranagu&aaute; に流れちゃってんのか.
・荷造りする前にとりあえずパタゴニアの写真の残りをスキャンしておく.ブラジルに居る間に HP にアップできるかな〜.

2001/ 2/19(曇)
・午前中に旅費を旅行会社に支払わなければならないので、朝からセントロに出かける.現金払いでしか受け付けないのだが、銀行残高が無いので、CITIBANK で現金を下ろして支払おうと考えていたのだが、カードを持って行くのを忘れてしまい、結局小切手を切ってしまった.う〜ん、残高残ってたかナ〜、不渡りになったらどうしよう...
・夕方に要らない荷物を知人に届ける.今日は 18 時頃に会社の同僚がアパートに来て、ほしいものを物色する予定なので、アパートに戻るが、まずは見知らぬ女性が来た.彼女はきっと金曜日に会社で話しをした同僚の妻であろうと目星を付けて部屋に通すが、ちょうどその時、話しをしていた同僚がアパートにやってきた.むむっ、これは一体何の事態が発生したんだ? 話しをよく聞くと彼女は別の同僚のいとこらしい.日曜日に電話が掛かってきたのは紛れも無く彼女からだが、どうやら相手を勘違いしていたようだ.つ〜か、その同僚も会社で一言くらい話せよな〜.いきなり見知らぬ人を送り込まれたら混乱するぞ.
・日本への船便は 3 ヶ月掛かるので、いずれにせよ生活必需品は持ち帰れない.電気製品はコンセントの形も違うし電圧も違うので尚更.大物家具は荷物の容量制限に引っ掛かるので、結局は本とコンピュータ関連、音楽関連、衣料の一部と登山用具、写真用具くらいしか持って帰らない積もりだ.一人には R$ 50 でストーブ 2 個と 20 インチのテレビ、もう一人には R$ 50 で電子レンジとガス台、掃除機を引き取ってもらう.この値段だと転売しても 4 - 5 倍以上に売れる筈だから向こうも満足していた.こっちも知人からお金を取るのはイマイチ気が乗らないので、まあこれくらいの値段で妥当か.
・他にもいろいろ欲しがっていたが、大物家具は全て学校に寄付する事に決めていて、段取りも整えているので断る.寄付などと言うと安く売れと言い出すに決まっているので、とりあえず売ったという風に誤魔化しておく.

2001/ 2/18(曇)
・今日から夏時間が終わって日本との時差が 12 時間となった.なんとなく判り易くていいな.昼間にその事を注意するメールが来たので、それを読んで気付いたが、午後から人と待ち合わせしていたので、あのメールが来なかったら気付かずに 1 時間間違えていたところだ.危ないアブナイ.
・奥さんが日本人の夫妻と一緒にサッカーを見に行く.車は Shopping Curitiba の駐車場に置いて Arena da Baixada まで 10 分ほど歩く.今日の対戦相手は Iraty だが、クリチバからさほど遠くない町である所為か 20-30 人ほど応援が来ていた.
・Atlético/PR は遥か格下の Iraty をなめ切っていたのか、全然やる気が感じられず、勝つには勝ったが 4 - 3 で 3 点も取られてしまい、応援の人達には結構鬱憤が溜まった内容だった.帰りに Shopping Curitiba まで歩くが、途中で同じ Atlético/PR のファン同士が喧嘩を始め、道路を挟んで石や挙句の果てにはレンガをお互いに投げ始めた.人には直撃は無かったものの、交通量の多い道路なので、レンガが通行車にあたりベコッ、ボコッ、と鈍い音を立てている.たまらんな〜、俺の傍で喧嘩は止せよ.流れ弾というか流れレンガに当たったらどうするつもりよ.冗談抜きで即死だよ.
・その後、夫妻のお部屋にお邪魔して晩御飯を頂く.タイ風カレーとかを作って頂いたが、久しぶりのピリ辛は無茶美味しかった.このアパートは Couto Pereira の近くにあって、先週のダービー戦の話しになったが、やはり球技場まで壊されたあの試合は、終了後に外で大荒れとなってバスも燃やされ、バス停のチューブも破壊されていたようだ.巻き込まれずに帰れてラッキーだったな〜.

2001/ 2/17(雨)
・朝はうだうだと洗濯などをする.今日は昼からサッカーが有るのでまずはインターネットをチェック.予定表は変わりないが細かく読んでいくと、昨晩の 21:30 に今日の Atlético/PR の試合が日曜に延期になったとの記事が有った.危ない危ない、念のため新聞を買ってくるとやはりこの試合は日曜の 15:30 に変更になっていた.今日の試合は Paraná Clube 対 F.Bertrao が Durival de Brito で 16:00 からか.そっちに行こうっと.
・雨が降っているのでオーロンの T シャツに海水パンツを履き、サンダル履きで出かける.もちろん登山用のゴアテックスの雨具も持っているのだが、雨に濡れなきゃ気合が入らないという事で、そのまま泳げる格好が一番.
・Durival de Brito はフェベイラに隣接した球技場だが、ホントここは客層が悪い.靴も履いていない汚い格好の子供とかいっぱい居るしな〜.何が金出せじゃ、寄るな、散れ.入場料が R$ 3 と安過ぎるのも問題だよな〜.屋根が全く無いので雨の日は悲惨だし...
・中に入って飲み物を買うと、売店のお兄さんが日本人か? 橋本を応援しに来たのか? 彼は昨日で去ったぞと言う.えっ? 誰それ、と思っていたら新聞を見せてくれた.確かに日本人のハシモトコウイチ選手というのが昨日までこの Paraná Clube でプレーをしていたみたいだ.うわっ、知らんかった...居るときに応援に行けば良かったな〜.けど前回の試合は深夜で大雨だったしな〜.零時過ぎに球技場出て歩いていたら、こんな場所じゃ間違い無く襲われるわ...
・席を物色していたら名前を呼ばれた.う〜ん、知らないブラジル人だな〜、と思っていたがどうやらうちの社員らしい.昨日は事務所の上から下まで写真を撮り歩いていたから、向こうは私の顔と名前を知っているらしい.向こうも私のような日本人がユニフォームを着て、雨の中を応援に着ている事に驚いているようだ.とりあえず並んで座って応援する.
・試合はグランドのコンディションは良くないものの、両チームとも動きは良い.というか Paraná Clube は昨シーズンは Série B にも関わらず Copa Joao Havelange 第一ステージ優勝 & 決勝進出ということで、多分現時点ではクリチバ市内最強のチームである.結局余裕の 3 - 1 で勝つが、さすがに応援の柄は悪い.ボールが観客席に飛んで来たのだが、私の前の家族はそんな貧乏そうにも見えないにも関わらず、すかさずボールを持ち帰る為に雨具の下に隠し、ボールボーイが警察を呼んで漸くボールを返した.その時も思いっきりプレー中のグランドに蹴り込みやがった.もうお前ら消えれよ.余裕で勝っていても味方がパスミスすると罵声の嵐だし、おぃおぃってな感じ.

2001/ 2/16(晴)
・昼から公証事務所へ行って、なにやら訳の判らない書類にサインをしてくる.ついでに旅行社へ行ってリオのチケットの件を念押しする.ホテルの予約は取れたが、場所がフラメンゴ海岸との事.あそこって行ったことが有るけど治安が悪いんだな〜.コパカバーナかイパネマに変えれと言うと、最低でも 4 泊パックで R$ 2,500 からとの事.己を知ってフラメンゴ海岸で妥協する.
・夕方にコンピュータの事務所から電話が有って、頼んでいたソフトウェアが入荷したとの事.虎の子のドル現金で支払ってくる.
・事務所を上から下までぐるりと廻って皆さんの写真を撮ってくる.ちょうどその時ビルが全館停電となり事務室内は暗くなる.写真を撮るには不都合だが、金曜日だし皆さんやる気を無くしてだべっているので、遠慮無く声を掛けることが出来てちょっとラッキーだったかも.
・夜からシュハスカリアで送別会が有って、随分と人が集まった.どのブラジル人も、お前らは今まで見てきた日本人のイメージを覆すやつばかりだ、と誉めているのかよく判らない評価をしてくれる.私なんかはまだまだぬるい方だが、前のうちの部署の上司なんかは、ブラジル人からはカルチャーショック的な人だったからな〜.遊びでブラジル人に先に音を上げさせるというのもナカナカ凄かった.ゴルフも全くしないし、球技場のシーズン券を買い、また、週毎に海に通い、夜中にブラジル人を呼び付けて飲みに行く.私も何度か日本人同士は仲が悪いのかと言われたことが有るが、決してそういう訳では無いのだが、彼らの目からは、お前ら本当に日本人かという感じだったようだ.
・私のグループの人達からは、お土産にナショナルチームのユニフォームを貰ってしまった.私はクラブチームのユニフォームは 20 着ばかり持っているのだが、実はナショナルチームのユニフォームは持っていない.嬉しかった.

2001/ 2/15(雨)
・午前中に引越し屋さんが下見にやってきてダンボールなどを置いて行った.唯でさえ散らかっている部屋が、ますます雑然としてきた.荷造り面倒くさいな〜、ゴミも多量に出るだろうし寝ている間に誰か勝手にやってくれないものか.
・午後からパソコンのソフトを買いに行く.教えて貰った安い店へ行くと、普通の店ではなく法人向けの代理店みたいなところだった.計 R$ 2,800 をカードで払えるかと聞くとダメとの事.この前、紹介してくれたブラジル人に、こんな金額をブラジルでカードで買える筈が無いと念押しして聞いた時に、彼は絶対大丈夫と太鼓判を押していたのに、いざ店へ行くとこの様.未だかつて円換算で 10 万円以上の物をカードで受け付けた事なんて経験無いもんな〜、航空券だって半分は現金払いだし.銀行口座は既に沈没しているので、小切手を切ると不渡りなっちゃうから切れないと言うと、ドルの現金を持っていないかと聞いてきた.非常時の国外逃亡用に数千ドルの現金は持っているので、それで払っちゃおう、という事で明日支払う事にする.
・20:30 から Couto Pereira へ出かける.雨がちということで観客は 2,000-3,000 人か.20 分に América/MG が綺麗なカウンターで先制、35 分に Coritiba が 1 点取り返す.今日は人数は少ないが、こういう日に来る観客は応援にも気合が入っている.アウェイ側の応援は僅か 2 人.チト寂しいな.
・後半 20 分に Coritiba が逆転する.35 分に América/MG の選手が Coritiba の選手の足を掛けて一発退場.揉めている最中に線審が América/MG の選手に何か言ったのか一斉に皆線審に詰め寄る.軍警が 10 人ばかりコートの中に入って来て大揉め.あおりで América/MG の選手がまた一人一発退場.45 分にも足を掛けて一発退場でレッドカードは計 3 枚出た.中断時間が長かったにも関わらず、主審はきっちり 45 分で試合を終了させると、América/MG の選手がさっきの線審に向かって一斉に駆け寄ってくる.何があったのか良く判らないが選手全員を激怒させる線審なんて始めて見た.またもや軍警が一斉に集まってきて審判団を囲んで退場させる.観客は Coritiba が勝ったので、このトラブルに大喜びだ.やんややんやの罵声が América/MG に飛ばされる.雨の中を走って事務所まで戻り部屋に帰る.

2001/ 2/14(雨)
・午後から雨が降ってきた.不動産屋と旅行会社へ行っていろいろ手続きをする.24 日からリオのカーニバル期間でホテルが空いているか聞いてみるが、非常に難しいなどと言っていた.どこのホテルも料金が普段の 2 - 3 倍で且つ 4 泊パックじゃないと売ってくれないらしい.う〜ん、お金が掛かるな〜.
・今晩は Copa Sul-Minas で Cruzeiro がクリチバへやってくる.しかし外は雨.しかも寒い.気持ちが萎えていたところで新聞を読んでいると、球技場は Durival de Brito で開始時刻は 21:45.これが Couto Pereira や Arena da Baixada なら何の迷いも無く行くところだが、深夜にファベイラに行くなんてやる気を削がれる事夥しい.というわけで大人しくアパートに帰る.

2001/ 2/13(曇)
・ホテルで朝食を食べていても、聞こえてくるのはスペイン語だけ.昨夜からポル語を全く聞いていない.なんというかアルゼンチン人に占拠された所に迷い込んでしまったかのような感じだ.夏のサンタカタリナなんて何処行ってもこんな感じだよな.
・フロリアノポリスの交換局は、今まで駐車場も無く、警備員も野晒し状態で 24 時間突っ立っていたのだが、漸くそれなりの設備が出来ていた.この件は開業当初から建築関連の責任者に、いくら警備会社の仕事とは言え労働環境劣悪過ぎだと文句を垂れていた事なので、まともになったそれらをみて一安心.L 字型の屋ね付き駐車場の角の部分だけいやに綺麗なタイルが貼ってある.良く見るとシュハスコのかまどもちゃんと作ってあって煙突まで付いているではないか.さてはこいつら、現場で設計変更してパーティスペース作りやがったな.かまどを覗いてみると、既に何回か焼肉パーティを行った痕跡が残っている.う〜ん、やるなら呼べよ、ってな感じ.
・昼休みにみんなでショッピングセンターに食べに行く.Criciuma E.C. のユニフォームを売っているかと聞くと、一斉にあんな糞チームはダメ、等と言い出した.Criciuma はサンタカタリナの田舎町で、チームもセリエ C だが、過去に Copa Brasil で優勝した事があり、南部ではそれなりに名が通っている.Avai のユニフォームは既に持っているので、もうひとつの Florianopolis のチームである Figueinense のユニフォームを買って戻ると、Figueinense ファンの社員が、俺のチームは日本人にも人気だ云々と Avai ファンの社員と言い争いを始めた.どんな小さな町の弱小チームでも、市内の敵対チームに対する競争心はナカナカ見事なくらいだ.
・午後から Blumenau へ行く.昨夜は落雷で電源設備が焼損して、それの修理を行っていた.焼損した部品を見てみると巨大な鉄の塊が真っ二つに割れていた.今日もこれから来るな〜、等と暢気な事を言っていたがそんな中を車で走って帰るのはチト怖いな.帰り道では Itajai 付近で煙を吐きながら走るトレーラーとすれ違う.遠目からは不完全燃焼かとも思ったが、近づくに従って煙の量が中途半端じゃない事に気付いた.すれ違う際によく見ると、思いっきり燃えながら走っている.おぃおぃ... (^^;
・BR-101 沿いに並ぶタオル屋へ寄ってバスタオルを何枚かとベッドカバーを買う.Joinville を過ぎた辺りから大雨が降り出してきて、あちこちで事故っている.慎重に走りながら 21 時過ぎにアパートに戻る.メールをチェックするとパタゴニアで会ったチリのお兄さんからメールが来ていた.ありとあらゆるスペイン語の本を総動員してなんとか返事を書く.通じたかな〜、動詞の活用なんて分からんぞ? チト不安だ...

2001/ 2/12(晴)
・昼休みに JAL の事務所の場所の確認に出かける.JAL はクリチバには乗り入れていない割には事務所が有ってナカナカ謎の存在だ.予約等はインターネットで出来るみたいなので、予約はネットでやって買う時にここに来りゃいいな.
・チト挨拶回りにでも行こうという事で夕方から Florianópolis へ出かける.18 時に事務所を出るが、途中はずっと雨.Itajai を過ぎた辺りで漸く止む.Balneário Camboriú から先のいつも渋滞している山道は、上り線がトンネルが開通し、今までの道路が全て下り線となったので、4 車線ですいすいと走れる.結局 Curitiba - Florianópolis 間の BR-101 は 2 箇所の立体交差工事箇所以外は全て 4 車線化工事が完了していた.ここまで走ってきたのは 1 年振りだけど、ブラジルといえどもちゃんと工事は進んでいるんだなと感心.
・22 時 15 分頃に Ilha de Santa Catarina と大陸を結ぶ釣り橋が見えてきた.遥か遠くに右側に大陸の Sao José の灯りと左の Florianópolis の灯りを結んで、この巨大釣り橋が輝いている.30 分ほど走って 8 車線の新橋を渡るが、隣の釣り橋は照明の電球が、去年までのオレンジ色から青く非常に明るい電球に変えられていた.道理で遥か遠くからも良く見えたわけだ.橋の両側は工事を行っていて、曲がるに曲がれずセントロに入るのを失敗し、再び橋を渡って大陸まで戻ってしまう.気を取り直してもう一度橋を渡り直しセントロに入る.
・仕事で来たのだが、良く考えるとバケーションのシーズン真っ只中で、なんだかイヤに賑やかだ.Beira Mar の大通りも盛り上がっているに違いないが、5 時間の運転と止めの橋往復でくたばってしまったので大人しくホテルに入る.ロビーはスペイン語一色に染まっていて、エレベータでも老夫妻が何階? と聞いてきたのが一瞬理解出来なかった.パタゴニアで鍛えた筈なのに、早くもスペイン語を忘れかけて来ているな〜.
・部屋に入ると何を勘違いしたか 3 部屋もくっ付いている巨大なフラットだった.しかも冷蔵庫は寝室から一番遠い部屋に在る.どうせ寝るだけなんだから勘弁してくれよ.広過ぎる部屋って怖いんだよな〜.

2001/ 2/11(晴)
・朝からフェイラへ行くがとてつもない暑さでへばる.車に乗っていたらまたしても信号待ちでエンジンが止まって掛からなくなってしまった.どうもエアコンをかけるとダメですな.道が若干下っていたのでずるずると路側へ入って、暫し合間を取った後、アクセルを踏みながらキーを回すとどうにかエンジンが掛かった.後はアパートに帰るまでは信号で止まるたびにエアコンをこまめに消して走る.
・昼過ぎに帰ってインターネットに繋いでみる.アメリカの掲示板で潜水艦の衝突事故のトピックスが有ったので読んでみるが、一番最初の書き込みからして、既に「潜水艦に体当たりで攻撃してくるとは、日本人は第三次世界大戦を望んでいるのか」という感じでやる気まんまんだ.その後も「10 人見つかっていないらしいが神風として異国で散れて本望だろう.こういう国にはもう一度核をお見舞いすべきだ」「本来の犠牲者はこの事故で将来を断たれた潜水艦長だ.どうせ漁船の船長は酒に酔って操縦ミスしたのだろう.米国の税金で探索を行うとは言語道断.日本人は食材探しにこんなとこまでやって来るな」と延々と続いている.英語で書くと世界中の人に読まれてしまうため、良識派のアメリカ人が可哀想な感じだ.
・18:00 からのサッカーを見に Couto Pereira へ出かける.今年初の Atletiba と呼ばれるダービー戦なので 1 時間前に着くようにしたが、入った瞬間両チームの応援で球技場は割れんばかりだ.アウェイの Atlético/PR 側は狭いスペースに 8,000 人ぎっしりと詰め込まれて気勢を揚げている.Coritiba 側も座る余地が無いので、仕方無しにアウェイ側に近い 3 階に陣取る.ここは西日が直撃するしアウェイに近いのであまり宜しくないのだが、空いていないから仕方有るまい.
・対面に陣取る Coritiba 応援団の応援のたびに 100 メートル離れたこの席まで揺れるが、試合 15 前に Atlético/PR のいつもの一斉応援が始まった.8,000 人の一斉応援は凄まじいと言うレベルではなく、歌声は球技場に轟き渡るし、なんせ直ぐ横なので席の揺れは置いたジュースが吹っ飛んでこぼれるくらい、震度 3 以上の大激震だ.もちろん両手で後部を掴んでしっかりと座っているが、周りもこの激しい揺れにはかなりビビッている模様.花火が上げられ球技場は爆音と白煙に包まて何も見えなくなる.
・試合は Atlético/PR が押し気味に進めるが、20 分にレッドカードが出され、その後 5 分間で連続 3 枚のイエローカードが Atlético/PR に出されるに到って大荒れの今後が約束された.ホーム側に有利な笛を吹くのは審判の鉄則で有るが、なんせダービー戦、唯では収まらない.45 分に更に一枚レッドカードが Atlético/PR に飛び、前半終了時には Atlético/PR 側から「審判!」の大合唱.
・後半は 2 人多い Coritiba がひたすら押すが、全くゴールにたどり付けない.時々 Atlético/PR が反撃してきてゴールを脅かすが、ホームの笛に護られてこれまたゴールには届かない.こうなると人数の圧倒的に少ない Atlético/PR の応援がますます勢いづいて、スタジアムを乗っ取ったかのような応援振りだ.
・Atlético/PR のバックスで 2 番を付けた選手が、切れまくっていて 4 - 5 回ディフェンス 5 人抜き等を見せ付けていたが、ゴール前で自分が食らった足掛けの報復プレーをしたとたんレッドカードを出されて 11 人対 8 人となる.Atlético/PR 応援団からは退場していく彼に対して割れんばかりの大拍手が贈られる.後半 40 分に Coritiba が漸く 1 点を取ると、Atlético/PR 側からは審判の大合唱と共に嘲笑の大拍手が沸く.45 分に Coritiba が追加点を取った辺りから 2 階席の Atlético/PR 応援団が暴れ始め、軍警察がなだれ込む.いつもはクモの子を散らすようにみんな引くのだが、今日はぎゅうぎゅう詰なので軍警隊と観客が一体化してしまう.3 階席からは 2 階の警官に向かって盛んにモノが投げられる.怒り狂った 8,000 人の破壊力は凄まじく、観客席前部の鉄柵が何十メートルに渡って壊されて行く.試合が終わった後、40,000 人の Coritiba 側の応援の人も 2 - 0 でダービー戦を勝ったにも関わらず、盛り上がりもせず皆帰らずに唖然と壊されていく球技場を眺めている.
・外に出て緑の人の渦に混ざって歩いて帰るが、皆さん興奮しているので、旗を靡かせクラクションを鳴らしながら大騒ぎで車を走らせている.が、今日はバス通りの大通りでは軍警察の四駆パトカーの大群が待ち構えていて、彼らは車高が高いため、車道歩道など一才関係無く走れるが、騒がしそうな人の群れや車が居ると、中央分離帯を乗り越え前後左右からあっという間に包囲して袋叩きにしている.Terminal Cabral でも何人か軍警の餌食となっていた.う〜ん、恐ろし〜.これは未だ Campeonato Paranaense 第一予選の第一戦.どちらも決勝に行くとすると最低でも後 5 回、両チームのダービー戦が行われる.Copa Sul-Minas も含めると 5 月までに 7 回行われる事になる.血の雨が降るなこれは...

2001/ 2/10(晴)
・昨晩から Terra でインターネットにアクセスできなくなっていたが今朝になって復活したのでいろいろ覗いてみる.ハワイ沖の衝突事故のニュースがあちこちに載っていたが、焦点は CNN の報道が最初は水産高校の訓練船と生徒となっていたのが、直ぐに漁船とその乗組員という表現に変更された何故なのか、という事だった.ちなみに夜にもう一度その関連のニュースを漁ってみたら、CNN 米国版ではニュースは完全に過去記事の中に抹殺されていたが、CNN スペイン語版では朝からずっとコロンビアの件など押し退けて HP トップの記事で扱われていた.表記も英語版とは違って barco-escuela ( 学校船 )、estudiantes ( 生徒 ) となっている.同じ会社とは言え製作国が違うと立場が全然違ってくるようだ.
・今日は車に乗って旧道を通って Morretes から Antonina の方へ行ってみる.クリチバは曇って涼しかったが、海岸部は猛烈な蒸し暑さ.BR-116 でトラックが走行車線で止まっていて若干渋滞していたが、その 100m くらい前をおじさんが車軸付きのタイヤを転がしながら車に向かっていた.はぁぁぁぁ??? と思って事故車を見ると左後輪が車軸ごと外れてしまっていてブレーキが燃えている.前代未聞の自己崩壊だな〜.しっかし高速道路走行中に車軸ごと車輪が外れながら、よくぞスピンや横転することなくしっかりと止まれたものだ.感心.
・Morretes、Antonina からは Caioba、Guaratuba の海岸を通って帰ってくる.今日も良い天気で浜辺には人出が多い.どちらかというと Caioba よりも Guaratuba の方が若い女の子が多いようだ.次回の行き場は決定だな.

2001/ 2/ 9(晴)
・夕方残って机の周りの後片付けをやっていたが、細々といろんなモノが出てくる.将に貧乏性そのもので、こんなものを何故大切に引き出しの中に保管していたのだろうと思われる謎の品や、多分食事の際に貰って来た物の余りと思われるキャンディー類なんかも入っていて、結構危険かもしれない.とりあえず不急不要と思われる物は片っ端から捨てていく.
・最近サボっていたが、部屋に帰ってから CNN Espanol を点けて、言っている意味はまだまだ不明だがとりあえずはスペイン語の訓練.ブラジル-カナダ間の航空機競争に端を発したカナダのブラジル製牛肉輸入制限&ブラジルのカナダ製品ボイコット運動や何処かで行われている携帯電話ショーのニュースでは日本も出て来ていて、何やら絡んでいるようだ.う〜ん、なんて言っているんだろう? Costa Rica の Banana Crisis のニュースも気になるぞ.

2001/ 2/ 8(晴)
・今日も部署のお兄さんが一人大学に合格した.ということでみんなで寄ってたかってハサミで髪を切る.最近は部にもデジカメが置いてあるので、無残な姿を好き放題撮られていた.とりあえず私も 2-3 回ざくっと切ってみた.なんか楽しいな.
・20:30 から Arena da Baixada へ Copa Mercosul を見に行く.Atlético/PR の対戦相手の Marcílio Dias って何処かいな.サンタカタリナのチームという事だけは分かっているが一体何処の街なんだろう? 応援なんて一人も来てないぞ.
・前半 45 分に漸く Atlético/PR が先制.Série C 相手に押してはいるものの、最後の詰めが甘くなかなか点が取れずに皆さんイライラしきっていたところだ.後半 5 分に取り返されるがその後 2 点を追加して 3 - 1 で勝つ.見ていたら Marcílio Dias は内紛を起こしているみたいで、ナンだかわざとボールを渡していないような場面も有った.勝ったとはいうものの、遥か格下の内紛チームに手間取るとは今年の Atlético/PR はイマイチだな.

2001/ 2/ 7(晴)
・久々すかっと晴れた.最近の夕立続きで部屋の窓は閉めてきたが、今日くらいは開けてくれば良かったかなとちょっと後悔.昼休みには汗をかきかき本屋へ出かける.
・今日も一日職場は静かだったが 17 時頃にブラジル人のマネジャー全員が呼ばれて、なにやら 1 時間半くらい打合せと言うかプレゼンをやっていた.戻って来た者に聞いてみると、何となく分かったような分からないような...う〜ん、カーニバルはどうなるんだ〜.
・昨日の Mercadorama では生鮮野菜や肉類の品揃えが随分と悪かったが、ひょっとして未だトラックストをやっているのだろうか.一昨日くらいの新聞ではトラックストは全国的にはほぼ失敗だったものの、クリチバ市だけは BR-116 をガチガチに締められて物流が止まったような書き方していたからな〜.

2001/ 2/ 6(雨)
・前世紀からの最大の懸案事項であったペンギン倒しの調査結果がロイターより配信された.英海軍精鋭の 5 週間に及ぶ調査の結果、ペンギンの上空を飛行物体が通り過ぎても、ペンギンは上を見上げてそのまま引っ繰り返る事は無いらしい.調査はこれからも続行されるとの事.英海軍も予算が余りまくっている感じだな.
・Libertadores 2001 の組み合わせと日程が発表された.今年はクリチバのチームは出場しないので少し残念だ.アスンシオンにでも見に行こうかな.
・昼休みに少し足を伸ばして Shopping Mueller、Cristal、Curitba と R.XV de Novembro の本屋へ行きパソコンソフトの値段を見てきた.Windows2000 + Office2000STD + MS Project で R$ 2,800 ! 強烈激高.これじゃ海賊版が横行するわけだよな〜.
・今日は我々の業務の今後の予定などが判明する筈だったが、何一つアナウンスは行われず一日が終わってしまった.う〜ん、カーニバルの予定が立てられないぞ.困ったチャン.

2001/ 2/ 5(雨)
・事務所の片付けで最近バタバタしているが、今日も零時過ぎまではまってしまった.昔の書類などを見ていると、以前は結構まともに仕事をしていたようだ.出前を取って会社で晩御飯を食べるのも久しぶりだな.

2001/ 2/ 4(雨)
・朝からどんよりと曇っているが、今日はフェイラで絵を買いたかったので車に乗ってセントロへ出かける.フェイラでは思ったより人出が多かった.絵をいろいろ吟味していると、思ったよりも多くの人が絵を買っている.こちらの家は部屋が多くて壁が広いからああいう需要も多いんだろうな.けど幅が 1m も有る絵は日本じゃ絶対に飾り場所が無いぞ.とりあえずミニ絵を 3 つと小さいのを 2 つ、80 cm 四方くらいのを 1 枚買う.ミニ絵は 10 cm 四方くらいの大きさで、額に入っていて 3 つで R$ 10 だが、あの値段だと額縁代すら出ないんじゃないかと人事ながら心配だ.
・午後からは野暮用で出社.会社のパソコンでバックアップ CD-R を作ろうとしたが、2 時間掛かってテスト & 書き込みをやったと思ったら最後の最後でエラーが出た.うわっ、ドライブが悪かったわけでも無かったのかな、と言うか殆どこりゃ呪われている祟られているな〜.同僚が自分のパソコンを持ってきたのでそれでやってもらうと 7 分でコピー完了.う〜ん、先週から自分が睡眠時間を削ってやっていることは一体ナンだったんだ...

2001/ 2/ 3(晴/雨)
・今日は節分だという事に気付いた.これは豆でも食わねばと思って昼過ぎに町へ出る.適当な食堂で、ブラジル人の主食でもある Feijoada を食べてとりあえずは満足.撒くと後が大変だからそれは止めておこう.
・そのままセントロへ出かけて本を何冊かと Maxell の CD-R を買う.昨晩もはまりにはまったのだが、Kodak の CD-R 3 枚連続でフォーマットを失敗した時点で、疑惑はメディアではなくドライブ側に向けられる.帰ってから Maxell の CD-R を試すとフォーマットは上手く行くもののコピー途中で失敗.ここのところ 4 社 15 枚中 3 枚しか成功していないという事は、やはりドライブ不良か.買ってから今まで殆ど使った事無かったからこりゃ初期不良ですな.この非常時にやってられないな〜.
・夕方から大雨が降ってきた.突然激しい風が吹き込んできたので慌てて部屋中の窓を閉めにかかるが、間に合わず部屋中びしょ濡れとなる.くそ、やる気喪失だな〜.

2001/ 2/ 2(晴/雨)
・昼に CD-R を買いに行く.昨日は Samsung 全滅.Maxell 50% 成功だったが、今日は Av.7 de Setembro へ出てみると今まで知らなかったがパソコン、電気関係のパーツ屋がたくさんあったので、違ったメーカーのを探す.とりあえず Kodak のメディアを 10 枚買ってみる.
・昼食後、Shopping Mueller へ行って、腕時計の電池を交換してもらう.昨晩突然止まってしまったからな〜.交換費用は R$ 5.これって安過ぎないか? 日本だったら ¥1,000 以上したと思ったんだが...R$ 5 だったら ¥250 じゃないか.中古の電池とか使ってないだろうな.
・夕方に上の階が大騒ぎしているなと思っていたら、暫くすると赤いビキニのような服を着たおね〜さん達が侵入してきて、ラジカセを掛けはじめた.うわっ、またストレス解消隊が来たかと思ってみていると、ぞろぞろと 10 人ばかり入って来て大騒ぎ.会社のロゴ入りアイスクリームとフリスビーを配って去って行った.うちの部署の者もあの手のは苦手のようだが、去った後に各自の手にはフリスビーが残っている.こんな飛び道具は危険だなと思っていたのだが、案の定皆さん事務室内でフリスビーを投げて遊び始めた.流れ弾というか流れフリスビーが飛んでくるのでおちおち座ってられない.もうちょっと考えてモノ配れよな〜.
・会社のパソコンで CD-R のコピーを取ってみる.以前作ったデータのバックアップ CD-R は 3 枚とも SONY のメディアを使ったところ、その時には作成出来たものの昨晩確認すると、2 台の CD Drive でメディアエラーで読み出し不可能となっていてビビリまくっていた.会社のパソコンは LG のドライブを使っていたが、ファイル単位でエラーは検出するもののどうにか読み込めた.凄い! 直ぐに買ってきたばかりの Kodak の CD-R にバックアップコピーを取る.

2001/ 2/ 1(晴/雨)
・昼休みに CD-R を買いに行く.昨日は SONY を 3 枚買って全滅したので、今日は Samsung 4 枚と Maxell を 4 枚買ってみる.買った店は電話やで店の名前を見てみると KEITAI だった.おぉ、日本語じゃないか.
・21 時から Kart Race という事でブラジル人に場所を聞くと、HP に地図が載っているとの事.確かに地図は有るが、ブラジルの地図のパラナ州に丸を付けたものと、クリチバ近郊の簡単な絵に丸を付けたもの、レース場の前の道からの行き方を書いたものの 3 種類でどうみても役に立ちそうに無い.
・20 時半に行こうとするが、とりあえず地図に交通局の前の道を通り過ぎたら、次かその次の道を曲がるように書かれて有ったので交通局の前を曲がってみる.それから延々と 1 時間はまり続け、もう一度家の近くまで引き返して再チャレンジ.良く見ると交通局の次の交差点に銀行も書かれているので、交通局を一旦通り過ぎ、交差点を十数個、遥か数キロ走った時点で銀行を発見、そこで曲がってみる.それからまたもや延々と走りつづけると漸くサーキットが見えてきた.既に 22 時をまわっている.中に入ると広大なサーキットでカートがバトルを繰り広げいるのが見えるが、既に我らのメンバーのレースは終っていた.それにしてもカートは速いな.バックストレートじゃ 80 Km/h くらい出ているんじゃないのか? 優勝したやつに、俺が居なくて幸いだったな、と捨て台詞を吐いてぞろぞろと帰る.がっかり〜.
・アパートに戻ってバックアップの続き.一応会社の業務なのでさっさと終わらせたいのだが、メディアが悪いのかドライブが悪いのか、ファイルコピーを失敗しまくる.CD-R は一旦失敗したらもう終わりだし、大抵失敗したら Windows にエラーが出て電池とケーブルを引っこ抜いてリセットしないと埒があかないので今日もまた昨日に続いてはまりまくる.結局 8 枚買ったうち、Maxell の 2 枚に辛うじて書き込みが出来、残りの 6 枚は尽く失敗.経済的損害も甚大だが、今日もまたまた 2 時.こんな事で時間を徒に費やして空しい限りだ.CD-R へのコピーというのはこれだけ失敗して当たり前の事なのだろうか? 時間と金を返せ、ってな感じ.明日は徹夜かいな.



2001/ 2/ 1 - 2001/ 2/28

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